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大阪高等裁判所 平成6年(う)412号 判決 1995年6月15日

本籍

和歌山県田辺市元町一二三九番地

住居

同市元町一二三八番地の四

農業

坂本肇

昭和三年一月一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成六年一月三一日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人井戸田侃及び村上有司連名作成の控訴趣意書記載のとおり(なお、弁護人は、控訴趣意書第一点は、事実誤認の主張に尽きる趣意であると釈明した。)であり、これに対する答弁は、検察官三ツ本輝彦作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、本件各公訴事実に関して被告人には違法性の意識がなく、そのことに相当の理由があったから、被告人に対し無罪を言い渡すべきであるのに、違法性の意識がなかったとは言えないとして被告人を有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するのに、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判示各事実は、所論の点も含めてこれを優に肯認でき、当審における事実取調べの結果によっても、右判断は動かない。原判決には所論のような事実誤認のかどはない。

所論は、その核心的主張として、被告人は、同和地区納税者に対しては税法上の特例がある上、国税当局も税法上特別な取扱いをしていることから、その得た利益を同和対策事業の推進、その他同和地域のために使用すれば、追跡調査を受けないという特別な取扱いをしてもらえるものと信じ、税務当局の指導に従いつつ、他の同和関係組織が行っていたのと同様の方法で節税をしたつもりであって、客観的には違法であるにせよ、許される行為と信じてなしたものであるから、違法性の意識を欠くと主張するが、この点について、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の項において同旨の主張に対してなした判断は、おおむね相当として是認することができる。以下、所論にかんがみ、若干説明を加える。

1  所論は、同和団体ないし同和地区関係者には多くの税法上の特例措置があるため、同和関係組織を通じて申告すれば大幅に税金が軽減されると被告人が信じたのは、無理からぬところであると主張する。

そこで検討するに、まず、昭和四五年二月一〇日付け官総二-六国税庁長官通達(以下、「長官通達」と言う。)中に、「同和地区納税者に対して、今後とも実情に則した課税を行なうよう配慮すること。」とする項目がある点について、関係証拠によれば、右長官通達は、昭和四〇年八月一一日に同和対策審議会の「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」についての内閣総理大臣あての答申がなされ、次いで昭和四四年七月一〇日に同和対策事業特別措置法が制定公布されたのに伴い、全国の国税局長に発せられたもので、その本文は、「〈1〉職員に対し、同和問題に関する認識を深め、国家公務員としていやしくも法の精神に反するような言動のないよう周知徹底をはかること。このため局署において実情に応じ職員に対する研修等を実施すること。〈2〉同和地区納税者に対して、今後とも実情に則した課税を行うよう配慮すること。」というものであることが認められる。

しかしながら、右の文言それ自体に照らしても、これが同和関係組織を通じた外形上不正な行為による租税のほ脱を容認する趣旨であると理解したというのは、誠に強引な牽強附会の論と言わざるを得ない。言うまでもなく、我が国では租税法律主義(憲法八四条)が採用されており、租税の創立改廃のほか、租税の具体的内容、すなわち、課税対象、課税標準、税率、納税義務者などはすべて法律で定められなければならないところ、税法上同和地区に対して租税の負担を軽減し、あるいは不正な行為による租税のほ脱を容認するような規定はなく、国税庁長官といえども通達により税法の内容を改変することは不可能であるから、長官通達は租税の減免等の根拠とはなり得ないのであって、このことは右通達の文言からも明確である。

もっとも、関係証拠によれば、不動産取得税などの地方税については、所論指摘のとおり、地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律の趣旨に照らして、同和対策事業に係る不動産の譲渡等について、条例により減免措置が定められていることが認められるものの、これは租税法律主義と矛盾するものではない。しかも、これら租税の減免は、条例に基づく通達等の定める要件を充たして初めて認められるもので、一定の書式に従うなどの手続を踏むことが要求されているのである。

また、所論は、税務当局において、同和地区住民の納税申告手続について同和関係組織による総務課長への申告書提出という一括代行の便法を認めている点等を、租税の減免という理解につながる特別な取扱いであると主張するが、右便法は、あくまで申告手続面における負担を軽減するための実情に則した配慮であるにとどまり、租税自体が減免されたと理解する根拠となり得ないことは、それ自体明らかと言わざるを得ない。

したがって、前記の長官通達や申告手続における特別な取扱いが同和団体ないし同和地区関係者に対する租税の減免の根拠となると理解したとする右所論は、到底採用できない。

2  所論は、被告人は、国税庁、大阪国税局ないし地元税務署等の指導に従い許される行為と信じて節税を行ったものであると主張し、まず、被告人が、田辺税務署長あてに全国自由同和会和歌山県経済商工連合会(以下、「経商連」と言う。)会長被告人名義の要望書を、大阪国税局長あてに全国自由同和会近畿連合会会長及び近畿経済商工連合会会長共同名義の平成元年一二月一二日付け要望書をそれぞれ提出した際、後者の要望書記載のとおり「経済基盤が脆弱なため、国税局として同和地区納税者に対して格別の配慮をされるよう」、「近商連が指導し、近商連を窓口として提出される白・青色を問わず自主申告については全面的にこれを認める。ただし内容調査の必要ある場合には近商連を通じて近商連を通じて近商連と協力して調査にあたる。」旨を申し入れ、本件におけるような申告方法を要望、相談したのに対し、税務当局から格別の異議や指導はなく、かえって右相談に応じたアドバイスがあったことから、同和関係組織を通じて申告すれば大幅に税金が軽減されると被告人が信じたのは、無理からぬところであると主張する。

しかしながら、原判決が適切に説示するとおり、田辺税務署長に対する右要望書の内容は、新年のあいさつの後、平成元年度から全国自由同和会和歌山県連合会(以下、「全自同」と言う。)に代えて経商連の会長名で申告書を提出するので、配慮を願いたい旨の要望書にすぎず、また大阪国税局長に対する右要望書についても、被告人自身が原審及び当審公判廷で認めているとおり、その要望に対する国税局側の明確な返答はなかった上、右要望書の内容自体、税務調査があり得ることを前提としており、申告書の内容を全面的に認めて事実上税額を軽減することまでをも求める内容を持つものとは認められない。また、いずれの提出時においても、外形上不正な方法で租税をほ脱する意図であることを口頭で明確に補足説明し、あるいは相談するなどして、税務当局の明示的な了解を得ようとしたという形跡は全く認められない。したがって、右のような抽象的な内容の要望書を提出した際、その内容について特に異議を言われなかったので、当然税額を軽減してもらえると思った旨の被告人の供述は、到底信用できない。

また、平成元年一〇月二四日に東京の国税庁で参事官や参事官補と会って、前記長官通達が継続(原判決一二丁表三行目に「係属」とあるのは、明白な誤記と認める。)されることを確認したとする点も、右通達の前示のとおりの文面に照らし、不正な行為によるほ脱を容認することによって同和地区納税者の税負担を軽減する趣旨の確認がなされたものとは到底解されない。

さらに、昭和六三年春ころ、田辺税務署総務課長漁野明を訪ねた際、土木請負契約に基づいて申告書を作成すれば追跡調査はしないと言われたので、それに従って虚偽の請負契約書により架空経費を計上することを思いついた旨の被告人の原審及び当審公判廷における弁解は、総務課長がそのような発言をするものとは職責上容易に考え難いばかりか、捜査段階における被告人の供述とも矛盾するのであって、原審公判廷において、被告人が、国税当局者の言動をことごとく自己に都合が良いように理解していた旨供述していることも併せ考慮すると、やはり信用することはできない。弁護人請求に係る証人漁野明の当審における証言も右判断に沿うものであり、右判断の妥当性を一層高めこそすれ、何らこれをぐらつかせるようなものではない。

したがって、被告人が税務当局の指導に従い許される行為と信じて節税を行ったものであるとする右所論は、到底採用できない。

3  次に、所論は、被告人は、他の同和関係組織も本件と同様の申告をしていたことから、これが許されると信じたものであると主張する。この点に関し、原判決は、「弁護人の主張に対する判断」の4項において、「なるほど、実際には、ある程度有利な取扱がされていると被告人が認識してもやむを得ないとも言いうる状況があったことは、必ずしも否定できない」と説示しているところ、その言わんとするところは必ずしも明確ではない。関係各証拠を総合すれば、同和関係組織が、税務当局に対し強固な発言力を持ち、同和活動の一環として種々の申入れをした結果、同和関係組織が納税義務者を代行して税務申告をした場合、税務当局は立ち入った税務調査を実施することなく、書面上の形式的審査で申告内容を是認するという取扱いをしたことが少なくなく、その結果、本件のような虚偽の領収書等を利用した不正行為が、税務当局において本来なすべき積極的な調査等をしておれば容易に発見、是正されたはずであるのに、素通りすることが可能になったという実態の存在がうかがわれるのであって、原判決が言う「やむを得ない状況」とは、右のようなことを指すのであろうと思料される。

しかし、昭和六〇年から六一年にかけて、全日本同和会京都府連合会や全日本同和会和歌山県連合会和歌山支部の者が脱税で摘発されており、被告人もこれを知っていたこと(なお、被告人は、原審公判廷において、右和歌山支部の摘発については知らなかったと弁解しているが、捜査段階における供述と矛盾すること等を照らし、右弁解はにわかに信用できない。)、経商連の設立も、そのいわゆる税対策が脱税として摘発された場合に本体たる全自同に影響が及ぶのを防ぐ趣旨が含まれていたこと、本件各犯行においては、ほ脱金額が大きく、ほ脱率も五割をはるかに越えて八九・四パーセントから九七・七パーセントに達していること等に照らすと、前記のような税務当局の消極的な姿勢が本件犯行を助長したという側面があることは否定できないにせよ、本件のような行為が正当かつ合法的なものとして許されていると認識できるような状況になかったことは明らかと言わざるを得ない。

4  さらに、所論は、被告人は、多額の活動資金を必要とする同和関係組織に対して公的補助が行われていないことから、いわゆる税対策により得た利益を同和対策事業の推進、その他同和地域のために使用すれば、税法上特別な扱いをしてもらえるものと信じていたと主張するが、同和関係組織にのみ恣意的かつ脱法的な所得の再配分を認める結果となる右弁解の内容自体、常識に照らしておよそ納得し難いものである上、前示のとおり、このように信じたという個々の具体的な根拠が否定される以上、右所論も採用できないと言わざるを得ない。なお、関係各証拠によれば、本件においては、納税申告の時期が迫っていわば形式的に全自同の会員になった木下晟を除き、その他の納税義務者は同和地区とは無関係の者であるところ、原判決が指摘するとおり、納税義務者が同和地区出身者であるか否かを確認することなく被告人が本件各犯行に及んでいることに照らし、少なくとも、右の点は申告のための重要な要素とは考えていなかったことが認められるのであって、この点から見ても、被告人の弁解は不合理と言わざるを得ない。

5  さらに、所論は、被告人が本件のような行為が許されると信じていたことの証左として、被告人が、平成二年四月に新和歌浦観光ホテルで開かれた経商連の幹部研修会において、税務当局との話し合いの結果本件各犯行のように申告すればよいことになった旨堂々と述べていること、また、本件各犯行の後においても、税務当局を恐れることなく申告に関する要望を行っており、税務当局からも、被告人に対して格別の注意や叱責がなされていないことを挙げている。しかしながら、前者については、本件の共犯者らも含む内輪の会合の中での話であること、後者については、税務当局に対し、正規の税額のわずか五パーセントないし一〇パーセントで納税した旨を明確に告げた上でのものではないこと等を照らし、いずれも所論指摘のような証左となるものとは到底解されない。

6  なお、原判決は、「弁護人の主張に対する判断」の項の冒頭で「まず、架空の造成費用の計上及びその領収証の申告書への添付という脱税の方法を採っていること自体、同和団体が申告するからといって特別に税額が軽減されるものではないことを認識していたことを示すものである。」と説示しているところ、所論が指摘するとおり、被告人の弁解の趣旨は、前示したとおり、外形的には不正な行為による税のほ脱と言わざるを得ない行為が許されていると信じていたというものであるから、違法性の意識の有無を判断する上では、不正な手段方法を用いていること自体は決定的な決め手とはならないと考えられる。しかし、高額の架空費用の計上等、社会通念上だれの目にも明らかと言わざるを得ないような不正な手段方法を用いたことは、一般常識に照らし、違法性の意識を有していたと推認するに足りる根拠の一つであることも否定できないところであり、原判決の説示を全体として見れば、殊更不当と言うには当たらない。

7  以上のとおりであり、違法であることが分かっていたとする被告人の捜査段階における供述は十分に信用できるから、被告人に違法性の意識がなかったとは言えないとした原判決の認定は結局正当と言うべく、所論のような事実誤認のかどはない。論旨は理由がない。

二  訴訟趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、要するに、原判決の量刑は、被告人に対し刑の執行を猶予しなかった点で重過ぎて不当であるというのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもしん酌して検討する。

本件は、全自同の名誉会長兼常任顧問であり、かつ、その下部組織である経商連の会長であった被告人が、全自同事務局長兼理事で経商連事務局長でもあった谷口清次、税務知識があり谷口から依頼を受けて経商連の仕事を手伝っていた北田叔男や、不動産を売却譲渡して所得のあった納税義務者らと共謀して、平成元年度及び平成二年度の納税申告に関し(なお、原判決の「量刑の事情」の項の冒頭に「平成元年から平成二年まで」とあるのは、明白な誤記と認める。)、虚偽の工事請負契約書、領収書等を作って架空の譲渡原価を計上するなどして、内容虚偽の確定申告書を所轄税務署に提出し、右納税義務者七名の所得税を免れさせたという、組織的で大掛かりな所得税のほ脱事案である。

被告人は、他からの紹介などにより多額の納税義務がある者を知ると、全自同がその税務申告を代行することにより脱税を行わせ、納税義務者からカンパと称してほ脱額の約半分の金銭を拠出させ、これらを同和活動資金や幹部である自分らの利益に回すことを企み、これを主たる目的として全自同の下部組織である経商連を設立してその会長となったことがうかがわれる。また、本件各犯行のほ脱税額は合計四億五〇八五万余円に上り、ほ脱率も八九・四パーセントから九七・七パーセントと極めて高率であり、ほ脱の方法も、前記のとおり虚偽の工事請負契約書等を作成するという誠に悪質なものである。しかも、被告人は、右経商連の設立を積極的に推進し、自ら会長となるとともに、右のような脱税方法、正規の税額に対する申告納税額や脱税報酬の割合、申告は必ず被告人を通すこと、脱税報酬の一部を被告人の許に上納すること等を経商連の幹部研修会の席等で指示し、殊に納税率については、他の幹部から余りに低過ぎるのではないかという意見があったにもかかわらず、おおむね五パーセントないし一〇パーセントでの納税を強く指示していたのであって、本件各犯行において主導的な役割を果たしたことが認められる。これに対し、被告人は、本件各犯行は、和歌山市に住む共犯者濱野日出雄、同谷口及び同北田らが、依頼者となった共犯者らと直接交渉し、企画したものであって、田辺市に住む自分は、無断で行動することもある右谷口らに巧みに乗せられ、言われるままに申告書に署名、押印したに過ぎない旨弁解するが、右のような細部にわたる指示を行い、経商連会長印を保管してその名義での申告を独占し、申告書の提出も被告人自身が行っていたこと、脱税報酬のうち相当多額の現金が、上納されるなどして被告人の手元に残っていたこと等に照らすと、経商連を通じた申告に関する限り、被告人が主導的な地位にあったことを否定することはできない。

ところで、原判決は、前記一の3項で前示したのとほぼ同様に、「量刑の事情」の項において、被告人に有利にしん酌すべき事情の一つとして、「そのような税務行政が全くなされていないとまでは断定できず、税務当局側の同和団体に対する不明確な税務行政が被告人らの本件犯行を助長した面は否定できない」と説示しているが、前示したとおり、税務当局の消極的な姿勢が被告人の本件各犯行を助長したという側面があることは否定できないにせよ、税務当局の消極的姿勢につけ入ってこれを利用したという側面があることもまた否定できないのであって、本件犯行の犯情を考えると、それほど過大に評価するのは問題があり、この意味で、原判決の前記説示に全面的には賛成できない。結局のところ、被告人の刑責は重いと言わざるを得ない。

次に、被告人に有利にしん酌すべき事情を見るに、本件発覚に伴い納税義務者に対し正当な税額を完納させる行政的措置が講じられ、税法上の実害はそれなりに回復していること、被告人が、手元に残った脱税報酬額を超える九六〇〇万円を納税義務者に返還していること、被告人が本件各犯行に及んだ動機は、単なる私利私欲のためではなく、当時「地域改善対策特定事業に係る財政上の特別措置に関する法律」が平成四年三月で失効するのでないかと予想されたため、それに備えていわゆる同和運動の資金を蓄え、あるいは、自己が関係している同和対策事業を円滑に進めるための資金を蓄えることにあったこと、被告人が、その生育歴等から同和地区住民の経済的自立の重要性に思い至り、長年にわたって同和活動に従事しつつ地域の発展に尽力し、全日本同和会和歌山連合会会長、全自同名誉会長、同常任顧問、全国自由同和会教育啓発委員長等を歴任したほか、田辺市議会議員、町内会長等の地位にも就いていたが、本件の摘発に伴って表立った役職から退き、反省の意を示していること、被告人には、傷害、賭博、港則法違反、船舶職員法違反等の罪による古い罰金刑の前科九犯があるだけで、懲役刑の前科はないこと、被告人が既に高齢で、現在肝炎の治療を受けるなど病身であること等の事情が認められる。

以上で検討した有利不利一切の諸事情を総合すると、その他所論指摘の事情を十分考慮しても、被告人の刑責は重いと言わざるを得ないから、被告人について刑の執行を猶予するのが相当とは言えず、被告人を懲役二年及び罰金二〇〇〇万円(求刑懲役三年六月及び罰金六〇〇〇万円)に処した原判決の量刑は、懲役刑の刑期及び罰金刑の金額(労役場留置との関係での換算率を含む。)のいずれの点でも相当であり、これらが重過ぎて不当であるとは言えない。論旨は理由がない。

三  よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青野平 裁判官 重野和男 裁判官 的場純男)

平成六年(う)第四一二号

控訴趣意書

被告人 坂本肇

右の者に対する所得税法違反被告事件について、さきに控訴の申立をなしたが、その理由は左記のとおりである。

平成六年七月一四日

右弁護人 井戸田侃

同 村上有司

大阪高等裁判所第五刑事部

御中

第一点 原判決には、事実の誤認があるか、法令の解釈・適用に誤りがあって、これが判決に影響を及ぼすことはあきらかである。

一 原審弁護人は、被告人の本件行為は客観的には違法行為であることは間違いないとしても、被告人はその得た利益を同和対策事業の推進、その他同和地域のために使用すれば税法的に特別扱いをしてもらえるものと信じ、地元税務署、大阪国税局、国税庁などの指導にしたがい節税をしたつもりであって、本件のような行為は許されるものと信じてなしたものであると主張したのに対して、原判決は(弁護人の主張に対する判断)において、「被告人に本件犯行を実行するについて、違法性の意識がなかったことを窺わせる証拠はなく、よって弁護人の主張を採用できない」と判断したのである。

しかしながらその理由となる判断は、違法性の意識についての法解釈を誤解し、あるいは通達等の理解について建前のみしか理解せず、真実はどうであるかについては考えないものであって、同和問題について当局が特別な扱いをしているという事実を無視するものである。

二 原判決は、その冒頭において、「架空の造成費用の計上及びその領収証の申告書への添付という脱税の方法を採っていること自体、同和団体が申告するからといって特別に税額が軽減されるものではないことを認識していたことを示すものである」と判示する。

これが原判決が右のような弁護人の主張を排斥する主要な根拠のようであるが、問題は、弁護人は被告人が構成要件に該当する事実を認識していたことを争っているのではないのであって、弁護人は、被告人が同和団体には多くの税法上の特別措置があり、かつまた地元税務署、大阪国税局、国税庁の指導をうけてやっており、かつ被告人らの行為が違法である旨の特別な注意もなく、却って、特別な取扱を認めるようなアドバイスがあったこともあって、被告人はこれらが許されるものと信じていたということである。被告人が行為当時、どう思っていたかが問題であることを知らねばならない。原判決は、架空の費用を計上するなどの脱税の方法を採っていること自体、違法であることを認識していたと認定するが、これでは、およそ問題の所在がわかっていないといわざるをえない。不当な方法を用いて犯した殺人や詐欺でさえも違法性の認識を欠く場合があることを忘れてはならない。違法性の認識というのはそういうものである。原判決は、このような初歩的な違法性の認識に関する法律の誤解にもとづいて、弁護人の主張を斥けたものといわざるをえないのである。

三1 原審手続の冒頭から、被告人は、本件行為をなした事情について、つぎのように述べている。

「わたしは、全日本同和会和歌山県連合会の会長、和歌山県経済商工連合会の会長として、これまで同和地域のために全力を挙げて努力してきました。同和対策事業の推進、その他同和地区のことに関し本当にいろいろなことをしてきました。経済的に貧困な同和地域の近代化のために努力することは、わたくしの使命であると考えていたからであります。

その経済的基盤を支えるため、税法的に特別扱いをして頂けるものと信じ、地元税務署、国税局、国税庁などのご指導を受け、節税努力をしてきたものであります。

本件については、わたくしの無知もあり、多くの方々にご迷惑をおかけいたすことになりました。申し訳なく思っております。

しかしわたくしは、これが認められていたと思っておりました。これによって得たお金は、私腹を肥やすために使ったものではありません。税務当局とご相談しながら、部落問題解決のためにやったものであります。」(原審第一回公判期日における被告人の供述)。

そうして本件審理の終結にあたっても、「私は、これは許されていることだと思っていて、脱税ということは頭の中には全然ありませんでした。逮捕されたとき非常にショックでした。」「自分は脱税したとは考えていませんが、脱税したと云われても仕方がないと思っています」(原審第三九回公判)と述べていることも、これが違法ではなかったと被告人は信じていたことを示している。

被告人は、いま本件によって逮捕・勾留され、取調をうけ、裁判のうける身になって初めて、本件の行為が違法であったことを知ったことを示している。このことは、被告人は冒頭から終結に至るまで一貫して述べているところであって、これが本件行為をなすにあたっての被告人の真情であると思われる。

もともと被告人は、同和地区に生れ、そこで育った教育もない、ただ同和問題一筋に生きてきた老人である。同和地区には、税務問題については、他の地区と異って、特別ないろいろの配慮がなされていることは疑のない事実であって、被告人も税金の申告にあたって特別の配慮があるものと信ずるのも無理はない。管轄税務署の係官も、大阪国税局も、国税庁も事実上は暗黙のうえで、申告どおりで認めており、またこれらの係官は被告人がたびたび相談に行っても一度たりとも被告人たちのやり方に異議をとなえたりしたことはない。被告人が同和団体の印のもとで本件のような方法で申告しても許されると思っても無理からぬところであろうと思われる。

2 同和地区関係者に対する税法上の特別な取扱について

税法の具体的運用にあたっては、同和関係者には特別な取扱が国税当局、その他関係機関によって認められていたことは事実である。そうして被告人は、本件行為をなすにあたっては、つねに国税庁、国税局、税務署の当該係官と密接な連絡をとり、相談しながら本件の行為をなしていたのである。

イ 昭和四五年二月一〇日付国税庁長官通達(原審弁第四九号証)によれば、その2において「同和地区納税者に対して、今後とも実情に則した課税を行なうよう配慮すること」という項目がある。実情に則した課税をすべきことは当然であるから、何故、同和地区納税者のみこのような特別な通達がなされたのか。これは同和地区納税者に対しては、一般の納税者とは区別して取扱うことを明らかにしたものという他ない。そうして国税庁においても、一般納税者とは異なった同和専従の参事官を配置してとくに特別の窓口を設け、また大阪国税局においても同和対策室というような特別な窓口を設け、さらに各税務署においては、同和対策の窓口として、直接、総務課長に申告書を提出するなど特別に定めていることは、同和地区に対して、国税庁のあらゆる組織が特別な扱いをすることを認めているのである。

被告人が要望書(原審弁第五〇号証)を作成して、これまで申告は、全国自由同和会和歌山県連合会でしていたが、経済商工連合会を結成したので、申告書には、「全国自由同和会和歌山県経済商工連合会」の印で提出する旨を申入れ、さらには、平成元年一二月一二日付要望書(原審弁第五一号証)には、「国税局として同和地区納税者に対して特別の配慮をされるよう」と申入れ、とりわけ「3、近商連が指導し、近商連を窓口として提出される白・青色を問わず自主申告については全面的にこれを認める。ただし内容調査の必要ある場合には近商連を通じて近商連と協力して調査にあたる。」などのように、あきらかに特別な取扱いをすることを申入れているのである。中央の国税局に対しても、担当の参事官に対しても同様の申入をなしているのである。つまり被告人は、本件のような方法による申告のやり方について要望し、相談をしているのである。

それに対して国税庁も、国税局も、税務署もこれまでのやり方に対して、異議をとなえたり、否定したりした係官は誰一人いない。これらのことは、同和団体の印のある申告は、別段の取扱をするように申入れ、これに別段の意思が税務当局から示されていないから、被告人はこれが暗黙のうちに承認されたものとして考えたのであることを示している。でないと何のためにこのような申入れをしたのかわからない。むしろ田辺税務署の窓口である総務課長などは、これまでの方法でやってよい、ダミー会社を使ってはいけない、三〇〇〇万円控除の方法を使うのではなく、領収証をつけて提出せよ、「減額方法」は、工事請負契約書がよい、などのアドバイスをしているのである。被告人としては、これまでどおりの本件のようなやり方で申告してよいと信じるのは当然のことのように思われる。税務署員が明らかに法に反するような脱税をしてよいという筈はない。しかし被告人は、つねに所轄税務署、大阪国税局、国税庁の係官を訪れ、その指導をうけていた。そうしてそのアドバイスのもとに許されるものと思って本件行為をなしたのである。正当な同和問題のために使う費用を捻出するためには、正当な同和組織がなせば、税金については暗黙のうちに、特別な取扱が認められると信じたのである。

ハ このことは、被告人の組織だけではない。他の組織、たとえば解放同盟も同じような方法で申告をしていることから、被告人は、この方法でやってもなんら差支えないと思っていたことを裏付ける。

「解放同盟の税務申告の現状」(この書面については、検察官の同意をえられなかったが、これが被告人の供述の内容となっており、この書面は原審第二〇回公判調書の供述に添付されている)は、他組織である解放同盟の申告の現状を報告したものである。これによっても、申告窓口は一本化されており、直接、大阪国税局で受付け、税務署へはコピーが送られるが、この内容は課長以下はみられないという。そうしてこの申告書には、「部落解放同盟和歌山県企業連合会」の印を押して区別するという。被告人は、この内容を真似て、右のように「全国自由同和会和歌山県経済商工連合会」の印を押して提出するように申入れたものといわざるをえない。「昭和四十三年一月三十日以降大阪国税局長と解同中央本部及び大企連との確認事項」(この文書も検察官の同意をえられなかったが、これが被告人の供述の内容となり、原審第二〇回公判調書の供述に添付されている)も、これをモデルにして平成元年一二月一二日付の要望書(原審弁第五一号証)を作成したものである。その内容は殆んど同じである。これを要するに、解放同盟も同じ方法で申告しており、これに対して税務当局から異論があったとはきいていないから、そのようなやり方でやれば、すべてフリーパスで通ると被告人が信じたのは当然である。

ニ 弁護人は、このような現実は決して正しいやり方であるとは思わない。しかし現に国税当局がそのように同和地区のみ、税金の取扱について特別扱いをし、少なくとも被告人らに対して特別扱いが認められるように信じさせたことは、被告人の刑事責任を問ううえにおいて、充分に考慮されねばならない。建前のうえでは、すべての者は法の下に平等であって、差別されるべきではない。しかしここでの問題は、にもかかわらず現実には、教育をうけていない被告人などに対して、同和地区の者のみ、税務上、特別扱いをするように信じさせているところにあるのである。

ホ このような税金の取扱について同和地区のみ特別扱いを現にしている例は、単に実務上の取扱だけではなく、法令にもある。たとえば「同和地区における不動産取得税の特別措置要領」(原審弁第一〇〇号証)、「同和対策事業に係る不動産取得税の減免要領」(原審弁第一〇一号証)、「固定資産税及び都市計画税に係る同和対策特別措置要綱」(原審弁第一〇二、一〇三号証)、「国民健康保険料にかかる同和対策の特別措置軽減要綱」(原審弁第一〇四号証)などがこれである。その軽減率も五〇%というように非常に大きい。また総額三〇〇〇万円までの所得については、同和地区関係者については、免税措置を講じる申合せがあると被告人は聞いていたのである。

これらの事実は、被告人のような教育のない、同和問題に積極的に取り組んでいる者にとっては、同和組織で申告すれば、大はばに税金が軽減されるであろうとことを信じさせる。

3 それでは、被告人が本件行為をなした動機・目的はどうであろうか。

同和地区は、歴史的にも一般地区と区別され、経済、教育、住宅等々あらゆる点できわめて劣悪な環境のもとにおかれてきたことはいまさら説明する必要はない。被告人は、同和地区の出身者として幼少のころから筆舌につくし難い辛酸をなめてきた。同和地区出身者であるが故に、結婚に破れたこともある。正義感の強い被告人は、部落解放のために一身を捧げ、自腹を切ってその経済的負担にも耐えてきた。このことは、原審における被告人の供述のとおりである。

国も同和問題を重要施策の一つとして位置づけ、「同和対策審議会」を設立したり、「地域改善特別措置法」を制定したりして、同和地区の住環境の整備・経済的向上・生活の安定のために力を入れてきた。その一環として、同和地区あるいは同和関係者に対して、税務上特別扱いをしていたことは、右に述べたとおりである。国の政策としても経済的基盤の弱い同和地区の住民らを保護する施策がとられてきたのであった。

地区住民も、それに応じて同和のための団体を結成した。国・地方公共団体の施策に応ずるように、自主的に、同和地区の問題を解消し、住民の地位の向上を図るための活動団体として作った「全国自由同和会」「解放同盟」「解放連盟」がそれである。その意味でこれらの団体の活動は、国・地方公共団体からみてもきわめて好ましいといえる。

しかしながら、これらの団体の活動に対する補助は、――少なくとも和歌山県にあっては――何もない。被告人らは、すでに同和問題のために、相当の出費を重ねてきた。しかし団体役員の個人的出資による活動にも限界がある。同和地区に対する特別措置も近く廃止されるかも知れない。国税庁、国税局、税務署はいまのところ、これらの団体による窓口一本化を認めているし、他の団体と同じように、被告人の属する「全国自由同和会和歌山県経済商工連合会」印による申告を認めている。これまでの要望、申出、申告について、一度も税務当局から注意されたり、拒否されたこともない。

かくして被告人は、国が援助に力を入れ、かつみづからも不当な差別に苦しんだ同和問題を解決するために、これまでのやり方による節税をつづけることは認められていると信じたのである。

四 被告人が、本件のような行為は許されると考えていたことは、以上のような点からみて無理はないと思われるが、さらにまたつぎのようないくつかの状況事実からみてもこのことは認めることができよう。つぎのような諸事実は、被告人が真実、許されていると信じていなければ、理解することが困難である。

イ 何よりも重要なことは、平成二年、被告人が新和歌浦で開かれた経商連の幹部会において、沢山の人々の前で、堂々と、国税庁、大阪国税局、税務署と話し合いをした結果本件行為のように申告すればよいことになったと述べていることである。しかもこういうことを被告人は、しばしば云っていたという(原審証人原延治の証言、第九回公判)。そうしてこの責任は、自分がとると胸を叩いて断言している。もし本件行為がやましいものであると被告人が少しでも思っていれば、沢山の人の前でそのようなことを公言する筈はないし、ましてやその責任を自分がとるというようなことを云うことはありえない。

ロ 本件逮捕に至るまで、本件行為前はもちろんのこと、本件申告の後においても、国税庁、国税局、税務署にしばしば被告人は赴き、係官と話をし、申告について要望している。もし被告人が違法な行為をしていると思っていれば、これら係官と会うことを避けるのが通常であるし、係官からもこれらについて被告人らを叱責するなり何らかの反応があるのが自然であると思われる。このことは、本件申告が署員のアドバイスにもとづいたものであることを窺わせるし、また被告人はこの申告が違法であるとは思っていなかったことを示すのである。

被告人は、本件行為が違法であるとは思っていなかった。それ故に本件行為によって逮捕されてびっくりしたのである。

もっとも本件において免れた金額は大きい。しかしこの点についても被告人は申しているように、かつて被告人は一割以下の申告ですましたことがあり、にもかかわらず署員からこれまでのとおりでよいといわれていたので、その数字にもとづいてその割合(一〇%)で申告したため、そのような金額になったのである。もしこれが不当であるならば、署員はこの点について注意を与えるべきであったのである。これまでのとおりでよいといってはいけなかったのである。被告人はこれが正しいと信ずるが故に、さきにふれたように堂々と和歌浦の幹部会でその一〇%という数字を公衆の前で述べたのである。金額が大きいからといって、被告人に違法の認識があったということにはならない。

五 ところで判例を検討してみても、本件と同種事案について無罪を言渡したケースも少なくはない。たまたま弁護人が見出したものとしても、たとえばつぎのようなケースを指摘できる。

イ 「違法性を意識しない点につき相当の理由があるとして犯意が阻却された事例」として、高松高昭二九・八・三一判決、特報一巻五号一八二頁がある。

このケースは、被告人が虚偽の出張命令簿等を作成して、旅費名義で資金を不法に払出し、これを職員に分配し、その他会議費、接待費等に支払ったという事案である。これについて判決は、上司が、「この空出張の要求について問いただしたところ同課長はこれを制止せず唯会計法により自分でやれと答えた。被告人はこの答を地方で適当にやれという風にとった」。「接待費関係については徳島食糧事務所には予算として所謂食糧費の割当なく来客の接待には困っていた」。等々の六つの点を指摘して、被告人の「前記の所為は、いずれも上級官庁から黙認せられたものと信じ、黙認せられたのだから差支えないものと信じて行ったものであり、黙認せられたと信じ黙認せられたのだから差支なしと信じたことは通常の一食糧事務所長としては無理からぬ特別の具体的実情があったものと認められるのである。故に被告人Oの本件行為は客観的に違法であるが(上級官庁が黙認しても合法のものとならぬ行為である。又上司が黙認したものとは証拠上考えられない。)右のような錯誤によって違法性を認識しなかった点に於て相当の理由があり従って故意の責任は阻却せられたものと解すべきである」と判示したのである。そうして、これは客観的には違法であるが、錯誤によって違法性を認識しなかった点において相当の理由があるものとして、無罪の判決を言渡したのである(判例集のコピーを本控訴趣意書に添付する)。

これは、さきに述べた原判決冒頭の説示がいかにずさんかであるかを示しているとともに、黙認せられたのであるから差支えないと信じて行ったことによって違法性の認識を欠くとしたのである。

ロ また「犯意を欠く一事例」として、無罪判決の控訴を棄却した東京高昭四四・九・一七判決、刑集二二巻四号五九五頁がある。

このケースは、いわゆる「黒い雪」事件判決であって、わいせつ図画を公然陳列した事案である。これについて判決は、「映倫管理委員会の審査を通過した」こと、「多数の映画の中からはじめて公訴を提起された」という事実などを考慮して、犯意を阻却するものとしたのである(判例集のコピーを本控訴趣意書に添付する)。

ハ さらに「示威運動が法律上許されないと考えていなかった場合に犯罪の成立が阻却されるとした事例」として、東京高昭和五一・六・一判決、刑集二九巻二号三〇一頁がある。

このケースは、被告人が空港ビル内でデモを指導したが、これまで同様の行為についても現場に居合わせた警察官は警告も制止もしなかったこと、当日も、制止の放送があったけれども被告人の目前で状況を現認していた制服・私服の警察官からはなんらの警告・制止がなかったことなどから、これが法律上許されないものであるとまでは考えなかった。しかも、これまで空港ビル内でのデモについて許可申請事例は皆無であるなどのことから、本件行為は、「法律上許されないものであるとまでは考えなかったのも無理からぬところであり、かように誤信するについては相当の理由があ」るとして、この違法性の錯誤は、犯罪の成立を阻却するとしたのである。(判例集のコピーを本控訴趣意書に添付する。もっともこの判決は、上告審において事実誤認として破棄された)。

ニ いわゆる独禁法違反事件について、違法性の意識を欠いていたと認められる事例として、東京高昭和五五・九・二六第三特別部判決、刑集三三巻五号三五九頁がある。

この事件は、原油処理に関する取引分野における競争を実質的に制限したものとして起訴された事件であるが、生産調整が公然として行われていたのに、公正取引委員会がこれに対して何ら注意、警告、調査等の措置をとらなかった等のときには、被告人らが自己の本件行為について違法性が阻却されると誤信していたため違法性の意識を欠いていたと認められるとして、被告人らに対して無罪を言渡したのである。(判例集のコピーを本控訴趣意書に添付する)。

このケースも、違法行為に及んだことを認めながらも、違法性の意識を欠いたとするものであって、本件の判断にさいしても参考になると考えられる。

これらの判例は、客観的には違法行為であることが明確であっても、当該官庁の係官の態度や同様な行為が認められていることなどによって、行為者本人が法律上許されないとは考えなかったことに相当の理由があるときには、犯罪の成立を阻却することを示しているのである。

そこで被告人が本件行為をなすに至った経緯をみてくると、被告人は個人的な利益を図るためにやったものではなく、また本件行為をなすについては、関係官庁の意見をききながら、そのアドバイスにもとづいてなしていることはあきらかである。そうして現に、同和地区関係者には税法上も数々の特例があることも、証拠上、明白である。被告人は、このような諸事情にもとづいて、本件行為が法律上許されないとは考えなかったために、みんなの前でこれを説明し、堂々と本件行為をなしていたのである。これが本件の特徴である。

六 原判決は、(弁護人の主張に対する判断)において、まず

1 「田辺税務署長宛の要望書(弁五〇)及び国税局長宛平成元年一二月一二日付要望書(弁五一)」は、単なる要望書にすぎず、「申告書の内容を何ら検討することなく全面的に認めて事実上税額を軽減することまでも求める内容を持つものとは認められず……」と判示する。

しかしすでに指摘したように、同和団体が窓口になって提出した申告書については、特別扱いすること自体、その内容について格段の配慮をしてもらえると思わせるのである。しかも「近商連が指導し、近商連を窓口として提出される白・青色を問わず自主申告については、全面的にこれを認める。」しかも調査の必要ある場合でも、税務署は、近商連と協力して調査にあたるというのである。これは事実上、近商連の考え方がうけ入れられると考えるのがわれわれの常識である。しかも現に、これまで「内容調査の必要ある場合」は一度もなかったというのであるからなおさらそうである。原判決のこの判示は、何とも形式的な、皮相的な判断をするものだという外ない。

2 「昭和四五年の長官通達(弁四九)」についても、これが原判決のいうように、意味のないものであるならば、何故、被告人らが東京の国税庁やその他税務官庁にたいしてこの内容を確認させたのかわからない。それは――少なくとも被告人らにとっては――非常に大きな意味があるからである。それは、すでに述べたように、同和地区納税者に対しては格別の配慮をしてもらうことを意味するものであったからである。

原判決は、いかなる者といえども、不当な方法で節税することはありえないという予断にもとづいて通達など実務上の文言を解釈しようとする。しかし現実は、そのようなものではなく、被告人はまさにそのような現実にもとづいて、実際上、許されていたと信じていたことをここでは主張しているのである。刑法の解釈は、机の上の判断ではなく、そのような現実にもとづく事実に従って判断されねばならない。でないと何人も納得することはできないであろう。

3 田辺税務署の総務課長の発言についても、建前上は、何人でも同和組織の手を通じて申告されたものであっても、脱税してよいと云える筈はない。しかし形式上、手続的にきちんとしてあれば、実際上、追跡調査はしないというような特別な取扱を同和団体については認めてもらえるものとして被告人は理解していたのである。

4 原判決は本件については、納税率が低い事実を指摘するが、これについては、すでにのべたところであり、一〇%という数字は、被告人が勝手に想像した数字ではない。

むしろここで原判決でさえも、「なるほど、実際には、ある程度有利な取扱がされていると被告人が認識してもやむを得ないとも云いうる状況があったことは、必ずしも否定できない」と認定せざるを得ないことが重要である。弁護人は、違法性の認識を考えるうえにおいて、これこそもっとも重要であると考えるからである。

5 納税者が同和地区外の者であるかどうかについては、被告人は、本件納税者たちについては面識がない。それですべて窓口になった者に委してあったので、被告人は確認していないし、確認できる立場になかった。そういうこともあり、被告人の主たる関心事は、そのようにしてえたカンパ金を真に同和問題解決のために使用することにあると考えていたのである。事実、被告人はカンパ金をもって私服を肥やしていない。

6 原判決は、一審弁護人の主張した個々の点については、右以外には何らそれを採用しない理由をあげていない。これでは被告人は納得することはできないであろう。

七 このようにして検討してみると、右にあげた判例の趣旨からみても、本件の場合には、被告人には錯誤により違法性の認識を欠くものというべきであって、それについて相当な理由があるというべきである。それを慢然と「違法性の意識がなかったことを窺わせる証拠はない」という原判決は、事実を誤認したが、法令の解釈・適用を誤った違法があるというべきであって、原判決は破棄を免れない。

第二点 原判決の刑の量定は重きにすぎる。

一 原判決は、被告人に対して懲役二年及び罰金二千万円の各実刑を言渡したことはあきらかである。かりに右第一点掲記の主張の理由がないとしても、右にあげたもろもろの諸事実は、刑の量刑にあたっては、充分に考慮されるべききわめて重要な事実であると考える。刑法第三八条三項但書において、違法性の錯誤の場合には、とくに「刑ヲ減軽スルコトヲ得」と規定していることは、かりにこれが犯罪として成立するとしても、刑を量定するにさいしては法定減軽事由になることを示している。それは、行為をなすについての反対動機を減弱させるからである。

二1 本件の特色として何よりも重要なことは、本件においては、納税実務において、同和関係者の特別扱いを黙認し、これに対して特別な指導もせず、むしろ積極的に特別扱いを推進するが如き国税当局の取扱が、本件行為を生んだと云える。いわば被告人は許された行為であると思ってやったところ、検察当局によって問題にされ、生まれてはじめて逮捕・勾留されたうえ本件起訴に至ったのである。もしそれが実刑ということになれば、被告人は、国税当局と相談し、これを黙認されているからこそやったところ、刑務所に入ることを司法官庁より要求されたというべきであって、法にくらい被告人に対しては、国家機関よりひっかけられたという印象を拭い去ることはできないであろう。

この点、通常の税法違反と本件とは基本的に異なるのである。通常の税法違反であれば実刑であっても、このような事情のもとでは、有罪となっても執行猶予ということが十分に考えられるべきである。

2 税法違反といえば、懲役刑の言渡しがあっても、執行猶予が附されるものと考えられていた。しかし昭和五五年三月一〇日、東京地裁で、法人税法違反について初めて実刑判決が言い渡されたのをはじめとして、ようやく実刑判決が言渡されるようになった。しかし実刑判決は、いまだ多いとはいえない。しかし本件は、右のように違法性の認識について独特の問題を含んでおり、またその動機において私的な利益を追及するものではなく、利益の使途も同和問題解決のために用いられている。その犯行の手段においても、証拠隠滅など悪質な方法を用いていない。また被告人は初めて逮捕・勾留をうけた者で同種前科はもちろんない。

3 被告人は、自らも同和地区出身者として筆舌につくし難い辛酸をなめ続けてこれまできた。その苦悩の中で同和地区解放と弱い者を救う必要性を痛感して、一身を賭してこの半生を捧げてきた。あとから来る者に自ら経験した悲しい思いをさせたくないと考え、寝食を忘れて働きつづけた。そうして自ら得た資金を、地域の弱者の経済的・教育的向上につぎ込み、同和運動に参加して地域の窮状を訴え、改善のための推進役をつとめてきた。被告人がいなければ、田辺市の同和地区(天神、末広、崖)は、今日程の成果をあげることができなかったであろう。地域住民も関係公務員らも被告人の功績を高く評価していることは、陳述書(原審弁第七一号証)、黒田証人、岡村証人等の証言するとおりである。被告人に対して多くの人から嘆願書が出ているが、それはこのことを示している。同和解放運動は、今も多くの難問をかかえている。もし被告人に実刑判決が確定する様なことになれば、和歌山における地域同和運動は停滞し、それは運動にとっても大きな損失であろう。

4 被告人が本件で受けたカンパ金は、平成五年七月二三日付上申書に記載したとおり一億円弱である。しかし、被告人は、この分配金を一銭たりとも自己費消していない。すべて同和運動費及び同和関連企業の更生資金として使用したのである。

その後、納税者から修正申告のため返金を求められ、被告人は自己が受け取った一億円弱は全額返済している。しかし、同和関係企業の中には回収困難なところもあり、また経費として費消したものは返金を受けられなかった。被告人は、やむを得ず手元金(原審弁第一〇五号証による売買代金)や借入金をして返済資金を用立てたため、多額の負債を抱えることになり、今後、長年月をかけて弁済しなければならない状態に追い込まれている。

もっとも被告人の供述調書には、これと異なる供述が二、三ある。これは、被告人が原審法廷で述べるように、全国事由同和会和歌山県連合会長樫木寛邦をかばってしたものである。公判に至って真実を吐露するべきであると感じ、当法廷で正しく供述したのである。しかも捜査段階においては、検察官の誘導と甘言があったことも、被告人が原審法廷で述べていたとおりである。

5 被告人は、勤勉、実直に六〇余年間のこれまでを送ってきた。この間、田辺市会議員、その他の公職を多数勤め、社会人として高い評価を受けてきた。もっとも若いころに罰金刑をうけたことが何回かあるけれども、逮捕、勾留は初めての経験である。二ケ月近くに亘る身体拘束及び取調べは、大変な屈辱であり、苦悩であった。被告人は、この期間中の心労により保釈後直ちに入院を余儀なくされ、後遺症(肝炎)のため今も通院生活をしている。また、本件は新聞紙上に大々的に報じられ、社会的信用も低下した。被告人は、その後公職の大半を辞して、今は農園で自然を相手に淡々とした生活を送っている。このように被告人に対する社会的制裁は、すでに充分つくされたと言って過言ではない。

6 被告人は、本件行為は違法ではないと思って実行したことは、第一点においてのべたところであるが、しかし自らの法的無知のため、多くの人々に迷惑をかけることになったのは事実である。この現実を直視し、今は反省の気持ちと呵責の念で隠遁の日々を送っている。今も同和解放には深い関心を持つ被告人ではあるが、今後第一線を退き後継者らの相談相手となって同和問題解決のため努力する覚悟である。被告人は、改悛の情顕著であり、再犯の恐れはない。この様な者に対して、実刑判決は無用であり有害であると思われる。

被告人は六七才を越え、老境に入りつつある。このような被告人に対して懲役二年、及び罰金二千万円の実刑を科した原告判決はあまりにも重すぎるというべきである。原判決は破棄を免れない。

以上

〈省略〉

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